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<title>長井利正の自伝的小説</title>
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<description>会話科学の創始者であり、ＮＡＧＡＩトークスタジオの主宰者。無名の天才クリエーターはどうやって創られたのか？その秘密を明かします。</description>
<language>ja</language>
<pubDate>Thu, 09 Oct 2008 12:50:23 +0900</pubDate>
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<title>第75話　５.コンタクト(遭遇)＜親友って何だ＞</title>
<description>　　＜親友って何だ＞父と最初で最後の一晩、二人きりで人生談義をした時、父のことばの中に「人間にとって最大の財産は親友だよ。」というのがあった。じゃあ、親友って何だ？と問われたら我々は何と答えるだろう？面白い事にボクと自分を呼んでいた時代、具体的には懐かしの市立中一年生の頃、福本という友達がいて、僕が「親友になろう」と言うと彼は即座に「イヤだ」と言う。それがキッカケで毎日二人は派手な喧嘩をした。あんまり激しいので担任の先生から地下の工作教室に呼ばれ、「お前たちはそんなにケンカをしたいのか？さぁ今日は先生が一緒にいてやるから、思いっ切りやってみろ。」と言われた。そして犬の子じゃれあうように叩き合いが始まり、間もなく体力の限界が来てラストは気力の叩きあいになり、止めた。それ以来、二人は喧嘩をしなくなった。意味も知らない“親友”になれたかどうかは覚えていない。50年も経った今、久しぶりで同窓会などで会うと互いにニマーと笑い合う。トコトン何でもぶつけ合い話し合って、何でもどんな事でも話し合える仲、これを親友と呼んでもいいのではないか。そして今、我々の中で親子・夫婦・恋人・仕事のパートナー等々“親友関係”はあるのだろうか？親友、それは親密な会話関係であるなら、それを阻害しているものは人間がへばりつく「物あり我ゼッタイ」の我欲の会話ではないか。</description>
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<category>未来人誕生物語</category>
<pubDate>Sat, 13 Mar 2010 08:00:00 +0900</pubDate>

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<title>第74話　５.コンタクト(遭遇)＜あなたは私＞</title>
<description>　　＜人を生かすを人生という＞この「あなたは私」というメッセージも、「人を生かす」と同じようにことば自体のヒラメキから出たものだ。カリフォルニアのエサレン研究所から帰って来て、発送したエクササイズの一つに互いが向かい合って真っ白になる迄「あなたは私です」を言い抜き、全く同一感を得た時、抱擁し合うというのがあった。このエクササイズが「ヒューマナイズ」という名称で人間研究サークルをしていた頃の人気番だった。参加者も増えホテルの会場を借りた時、案内で上半身裸になった若者が汗みどろで廊下に這い出し花嫁の行列とかち合って一発で出入り禁止になった事もある。「あなたは私」というメッセージは、同じ種としての人間には本質的に何の差別も存在しないと言う事なのである。もしあなたが私の家に生まれ育っていたら、私の家の会話体が乗り移って全く私になっていただろうし、その逆も又真なりと言う事なのだ。ここから「我々」ということばの深さが見えて来る。エサレンでも「仮面の踊り」というエクササイズがあって、参加者が全員同じ表情の仮面を付け、音楽の中で踊りあい、ふれあうと言うのがあった。同じ顔、一切差別のない環境の中では不思議な、いとしさといたわりが湧いて来る。自分が太っているからというコンプレックスで皆と風呂に入らない女の子と、この仮面の踊りの中で出会った時、同じ顔同志の眼の中に涙が見え思わず抱きしめた事がある。人は本質的に皆同じで、仲間なのに自分はダメだと思い込んで自分をいじめ抜く。太りたくて太ったんじゃない。そう生きざるを得なかった環境にうまれていただけなんだ！という事実が見えて来たら、生きる事がとても楽になる。たまたま台湾でプログラムをリードした時、中国語で「ニーチョースーオー」（あなたは私です）と言い合った事が動機で彼等の社会の一部でこれを挨拶代わりにして人間関係をつくっていると言う事を聞いた。日本でも「今日は!お元気？」と一緒に「あなたは私です」を使ったらキット人間関係に、違いをつくるのではないか。</description>
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<category>未来人誕生物語</category>
<pubDate>Sat, 06 Mar 2010 08:00:00 +0900</pubDate>

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<title>第73話　５.コンタクト(遭遇)＜人を生かすを人生という＞</title>
<description>　　＜人を生かすを人生という＞経営コンサルタント時代、「色紙」を頼まれ、人生と言う題を出された。人生か・・・・そうつぶやいて文字を見つめながらヒラメキで「人を生かすを人生という。」と書いたら大ウケで、以来書いた当人も真意がつかめていないのに、このメッセージを乱発し続けた。この真意は今、よく見えている。「人を生かす」とは「人を愛す」事なのだ。「人を愛す」のは如何に徹底して人を承認し続けるしかない。人が如何に自分を認めて欲しがっているかは、想像を越えて貪欲である。それ程、人は自分を認めない。生涯、承認の乳を求める赤ん坊である。思えば、私の人生とはこの愛の真意を求めての旅であった。チャップリンは生涯に４人妻を変えたというが、結婚という形式こそなかったが私には十人以上の妻がいた。いわゆる「彼女」と呼ぶ対象まで拡げたら星空のような思い出となる。このゴージャスな旅が私に教えてくれたのは「人を愛し抜き、愛し切ってこそ自分を愛し切れる。」という結論であった。そしてそれは全て自分の声、ことばで語りかける事によってのみ叶えられる。</description>
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<category>未来人誕生物語</category>
<pubDate>Sat, 27 Feb 2010 08:00:00 +0900</pubDate>

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<title>第72話　５.コンタクト(遭遇)＜金とは何か＞</title>
<description>　　＜金とは何か＞それにつけても人間がいかに金に捕らわれ、金に使われているかの事実を人間自身が漠然としか感じていないとは恐ろしい。自由圏と言い共産圏と言っても所詮はお金を自由に競い合うか、共有しあうかのあり方であって、金ゼッタイの体制に変わりはない。毎年、世界で今一億二千万人の子供たちが飢え、病死している。これも「我れ金」に走る大人達が起こしている犠牲である。私に愛とお金のあり方を目覚めさせてくれる存在としての松田氏との交友は、とても偶然とは考えられない。仏教典の喩え話の一つに釈尊を悩まし続ける堤婆達多の存在は前世の師匠が姿を変え釈迦を訓練し続ける為の変身であったと言う事を思い出す。彼は命がけで徹底してお金に生きている人である。私がどんなに根気強く愛を説いても彼は百パーセント、それを金から翻訳してしか聞いてくれない。そして金に対する人間の弱さを知り抜いて、私に「あなたの愛はまだ本物じゃない」と語りかけてくるのだ。私の真理探究のパートナーである杉本綾子そうだった。彼女は昔、私にこう言った。「あなたが愛を語るなら、お金を全部手放して下さい。」とそして私は彼女に事実上の金庫の鍵を預けた。元々銀行出身者である。金絶対社会に生きてきた人である。このパートナーシップの完全さから私が得たものは自分の深い大きい自由さであった。そしていつの間にか彼女自身も「我れ金」を手放し始め、自由さやあたたかさを満喫するようになった。自分自身について思い当たるのは私を猫可愛がりをしてくれたおばあちゃんが当時の予言者として有名だったなる易断の宗家に私を観させた時「この子の晩年は未曾有の大富豪となる。その時、このままでは物凄いケチになるから幼名だけでも慶光（よしみつ）と呼びなさい。」と言われた事だ。この大富豪という真意が、今何となく解けるのである。どうもこれは目先の金持ちを言うのではなさそうだ。私の知る限り、金持ちは必ずしも心の安らぎを得ていない。むしろピリピリしている。そして人を信用しない。つまり心は貧乏人のままなのである。そこへ行くと確かに私はもうすでに大富豪である。目先金はあるどころか、みんなのために借金しまくって一文無しである。ところが日々の充実さとか自分の周りの人々のぬくもりと信頼の中で毎日ホッカホカ暮らしをしている。毎日、毎晩が面白くてたまらない。何が起きても楽しい。これは事実としての大富豪ではなかろうか。そして、未来金は無尽蔵に存在する事がよーく見えてる。これが最高の豊かさではなかろうか。</description>
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<category>未来人誕生物語</category>
<pubDate>Sat, 20 Feb 2010 10:00:00 +0900</pubDate>

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<title>第71話　５.コンタクト(遭遇)＜愛とは何か＞</title>
<description>　　＜愛とは何か＞本屋にも「愛」の関連本は無限に出回っている。テレビも芝居も人生ドラマのすべては「愛」をめぐるストーリーである。ニュースも、そこから発生した悲劇である。街の居酒屋で語り合う話題も愛をめぐる「よもやま話」があふれている。では、愛とは何だ？と聞かれて即答できる人が中々いない。私自身、よっちゃんと呼ばれた頃から遠い父、一緒にいてくれない母を求めて人生の大半は「求愛の旅」であった。母代わりを求め、出会った途端にしがみつく。命がけで放すまいとむしゃぶりつく。相手がギブアップするまで金でも時間でも投入して求め抜く。これが「求める愛」であろう。そのうち喧嘩となり対立が起こり、どうしたら二人がうまく行くかに身心を尽くした。自分が社会的リーダーの立場を取るようになっても、何か人と出会えない。あせった。根本的に人間は信じられないものか?とあきらめかけた。出会いのためにやれる事は何でもやり、道を求め続け、波打ち際の砂船づくりを限りなく続けた。これは「取引の愛」だったのかも知れない。そして、ことばの凄み、ことばの尊さと出会うようになっていつの間にか自分から人を認める「与える愛」に喜びを感じるようになった。愛に生涯を捧げて得た結論は「平等愛」であった。一切の差別をなくすことからの目覚めだった。真の愛の正体とは人間は本質的に皆同じだという平等愛であったのだ。愛に満たされた人生を現したいなら、どれだけ人に愛を言い、伝え、乗り移る会話をするか、それしかない。何故なら時間も、命も、お金もそして「愛」もすべては「ことば」なのだから。</description>
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<category>未来人誕生物語</category>
<pubDate>Sat, 13 Feb 2010 08:00:00 +0900</pubDate>

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<title>第70話　５.コンタクト(遭遇)＜金も愛なり＞</title>
<description>　　＜金も愛なり＞私のルーツを振り返ってみよう。父の家は、村上水軍の港と言われる瀬戸内海の岬で十六人兄弟の一人として生まれ、独学で学歴を得て分限者にムコ養子に入った。このデータだけでも如何に金絶対、弱肉強食の一族であるかが分かる。海賊━貧村━大家族━学歴━金持ちの養子。この単語シリーズで優に金脈小説が生まれる。母は婚礼の晩、色男と駆け落ちをした祖母の娘として生まれ、当時の宝塚歌劇にも当たる娘義太夫からタレント的存在の新橋芸者となった。日本の宰相となった吉田茂や財界の大物、藤山雷太などに口説かれたが、最終的には身近な地方大尽の父に落ちた。情熱家━美形━ステージ━タレント━トレードという単語シリーズも会いと美と権力と財力のしがらみそのものとして、生き方が浮き出して来る。こうした父母のストーリーを統合していくと、自分の中で生き方としての会話体が見えてくる。何のことはない。松田氏と自分の関係とは父と母の関係の縮図であった。いや、それどころか銀座と自分の関係。片岡マスターと自分の関係。南社長と自分、Ａ会、Ｂ会の組織と自分、キャバレー界と自分、着物着付け業界と自分。全ての環境と自分のエネルギー関係がほどけていった。松田氏のマネーゲームへの反応は母なる自分と父なる自分の葛藤であった。そしてこの「物あり」「我あり」の会話を区別するところから、父と母という会話、金と愛という会話も対立から和合へとシフトしていったのである。人間が会話者であるという原点から見ても、人間が本来求めているのは「我々」という平等愛への目覚めである。それを「我が金」と思い込む錯覚から愛の喪失を起こすのだ。</description>
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<category>未来人誕生物語</category>
<pubDate>Sat, 06 Feb 2010 08:00:00 +0900</pubDate>

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<title>第69話　５.コンタクト(遭遇)＜親離れ、子離れ＞</title>
<description>　　＜親離れ、子離れ＞「自分は誰であるか。」その事実は親代々の会話の集積をベースとし、もの心ついて以来の知識情報を重ねた会話体である。しかも人はそれが自分であることなど思ったこともない。元々自分の考えとか自分のやり方など存在していない。ところが常識の会話に生かされている現代人は「自分」という得体の知れない意識を、「居る」と信じきっている。だから人間関係は混乱する。自分とは親たちの会話体そのものであり、それも当人が知らないうちにインプットされている。特に生み育てた母親の会話が八十％以上を占める。自分とは誰か？この人生の謎の第一関門はここから開いて行く。この事実からいえば、人間は基本的に親離れ出来ない。知識や学歴などデータ的な違いはつくるかに見えるし、それなりに社会の変化の波に浮き沈みはするが、生き方としてのオリジナルな会話体は、全く進化しない。ゴキブリの無進化と同じく本質的な違いはない。従って、概念として親離れということばはあるが、事実としては存在しない。そして事実としての親離れとは自分が人間として最もこだわり、しがみついている、“物”への執着を手放すことである。具体としては“金”を我が物として見ない事から始まる。その事実を思い知らせてくれたのは自分の人生の旅の最終ラウンドで出会った松田氏の存在であった。彼は昭和１８年、太平洋戦争のピーク期に南九州の地方都市に次男坊として生まれた。父は警察官、そして沖縄戦で戦死。母は近くの駄菓子屋で働きながら、三人の子供を育てた。極端な貧乏暮らしである。l母に会いたくてその駄菓子屋に近づくと、来てはダメのサインとして母は彼に石を投げたと言う。そして彼はつぶやいた。愛はお金に勝てない。金さえあれば愛は得られると。このメッセージが彼の手段を選ばぬ、しぶとさを創った。その瞼の母芝居が、彼のネットワークビジネスとなった。そして、命がけで財を築いたのである。松田氏に出会う人々は白昼夢を見る。そして彼に降参し、人生をかけるのである。私自身、彼と会う度にこのマジックパワーであるお金の引力を徹底して浴びた。ある時私は彼から、自分の会社の副社長にならないかと誘われた。生涯を潤す様な待遇を用意する。その代わり百％オンリーになれというのである。しかし私はそういう関係になる事は、あなたのためにならないと言って、好意を断った。私が求めていたのは、巨万の富の向こうにある真理の探究であった。命がけでA会を探訪した事もそれが目的だった。人間とは何かのライフワークに全てをかけたのも、結局は人間・人生・ゴールの探究である。しかし、私は彼の金の魔力に会う度にグラついた。これは一体何なのか？私自身であることばがこれ程までに反応するのは、自分を極めるチャンスではないのか？もしかしたら、金のエネルギーの向こう側にこそ、自分の求めている真理の実体があるのではないかと直感した。それが実は、親達と言うべきか、人類がはまっている「物あり」「我がゼッタイ」「お金がすべて」の迷信への突破であった。</description>
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<category>未来人誕生物語</category>
<pubDate>Sat, 30 Jan 2010 08:00:00 +0900</pubDate>

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<title>第68話　５.コンタクト(遭遇)</title>
<description>　　人間であること“ことば”によって「自分、人、そして社会」を現した“人間”にとって互いに約束した生き方を破り“うそのことば”を使うことは互いの「信頼」を壊し「愛」を殺すことです。「事実」をありのまま話し合う。ここが「我々」としての生き方です。ここが「誠実」へのあり方です。ここをまたぐと、自分であることを裏切り、ことばによって互いを生かし合う人間であることを失うのです。</description>
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<category>未来人誕生物語</category>
<pubDate>Sat, 23 Jan 2010 08:00:00 +0900</pubDate>

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<title>第67話　４.プレビュー(顔ぶれ)　＜同志の条件＞</title>
<description>　　人生とは人間関係の別名である。どんな人と関わったか、別の言い方をすればどんな組織を創ったかによって人生のスケールは測る事が出来る。私を中心とした親密なチームをどう現したか振り返ってみよう。二十代、銀座のアイディア会社、三十代、Ａ会の懐深く入った時、四十代、話道教室を興した頃、そして五十代、ヒューマナイズの名のもとにプログラムを探究した歩み、そして六十代、いよいよ会話科学へ接近する時、七十代、でんぐり庵エデュケーションとして社会に拡がって行く時、それぞれの人間関係こそ私の生き方そのものであった。一体どうすれば人は人と出会い、信頼しあい「我々」というチームをつくる事が出来るか？これは究極的な人生の謎であった。父が最後の晩、「人を動かす事が一番難しいな。」と問いかけて来たのも、ここのところだ。世間で言う我々関係は親子・夫婦・兄弟・身内・親戚・親友などと言うことばがある。しかしこの種の血族・血縁関係がどこまで信頼しあい、真に「我々」なのであろうか？親子がお金を巡ってどれだけカケヒキをしているか？夫婦が本当に信頼にいるのだろうか？兄弟・身内・親戚なる関係がどれ程協調しあい我々にいるだろうか？しきたり・しがらみの煩わしさに互いがどれ程不自由さを感じている事か？親友と思い込んでいる関係がイザとなったら、どれ程モロイものか、ちゃんと人間同志は知っているのだ。知っていながら、ことばの綾を使って互いが利用しあっている。これが血族・血縁・親密の実体である。プログラムリーダーとして人生をかけた杉本綾子が実母の死を巡る身内のしがらみを体験した時、スタッフを眺めて「本当の身内とは会話で出会ったあなた達だよ。」と言ったことばには実感があった。ともあれ私自身「ことばがすべて」の真理に出会う迄、人はすべて正体の知れない恐いものであり、まともな組織は全く出来なかった。</description>
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<category>未来人誕生物語</category>
<pubDate>Sat, 16 Jan 2010 08:00:00 +0900</pubDate>

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<title>第66話　４.プレビュー(顔ぶれ)　＜魑魅魍魎＞</title>
<description>　　「口がうまければ金が儲けられる」「異性が口説ける」「格好がいい」「知り合いになって利用しよう」彼のもとを訪れる人々の９９％が欲望達成の手段としてであった。様々な人種がどこかで会話の真理に憧れながらも欲望に追われて消えていく。あるパチンコチェーンの経営者は「こんな世界もあるんだなぁ。」と涙ぐんで、結局は自分のビジネス達成のための「情報商人」であった事だ。そして結局は、自らが言っている事とやっている事の矛盾にはまり、消えて行った。人間は真理そのものを理解していなくても会話し話し合うことによって、マイナスのエネルギーは淘汰されていく。会話にはそんな不思議な働きがある。会話科学のプログラムはトータルして９日と３晩。これが２日と１晩、３日と１晩、４日と１晩に分れる。そして信頼の人間関係をつくり続ける生涯学習へと発展していく。その旅路でリーダーの立場を取る人々にも、脱落が出る。皆の前で“この真理に人生をかける”と宣言した人物がドロップする。そのキッカケはコンプレックスとマネーとセックス。そこから物あり、我ゼッタイに負けるのだ。生まれつき身体にコンプレックスを持った娘がいた。親からも「お前は弟と入れ替わっていたらよかったのに。」と言われ、ハンデをバネにして大学まで出た。そしてサラリーマンとなり、「いやしの場」を求めて会話科学のレギュラーになった。自分の会話が「私はダメ」で満たされているとどうしても人と出会えないし、ましてや人類へのコミットなど及びもつかない。唯ひたすらにダメダメゲームを繰り返し、世間に帰って行った。不道徳な親の娘として生まれ、近親のいじめの中で育って人を絶対信じない女がいた。彼女がしがみついたのは「お金」であった。皆の前で真理を絶叫し自分をリーダーとして宣言した事も、全ては芝居であった。会話科学が経済革命を打ち出し、それが実は自分の中のお金との決別である事を知った時、そそくさと欲望の巷へ出て行った。強烈な親に密着され、十年近く我ゼッタイゲームの突破をかけたガンバリ屋がタナボタのような「結婚」という切り札が出た途端、普通の人に変身した。性欲と金欲で人は見事に変身する。人との関わりとは所詮、異性や金づるを得るための手段であるかのようである。</description>
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<category>未来人誕生物語</category>
<pubDate>Sat, 09 Jan 2010 08:00:00 +0900</pubDate>

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<title>第65話　４.プレビュー(顔ぶれ)　＜しゃべる猿たち＞</title>
<description>　　人類は自分達が「ことば」を持ち、会話する事によって文化･文明を創り出した奇跡を当たり前と思っている。この事が、人間の尊厳を見失う「またぎ」の第一歩である。もし、ことばがなかったら人類はどうなっていただろう？恐らく人類は存在していない。会話が文化を創るとすれば、高度な会話は高度な文明を生む。冴えない人生、じり貧の人生はそれなりの会話の結果に過ぎない。世間のおじさん・おばさんが如何に意味のない世間話に終始していることか、ゴールを持たない人間の悲哀である。街の若者は自由と言う名のわがままから「しゃべる猿たち」を思わせる。はたまた世界のリーダーと言われる人が、あくまで自分の名誉欲や物欲のために、会話を方法手段として人々を操っている。やがてどんな世紀末文化が現れてくることか、想像するだけでも恐ろしい。私が「会話科学」の名のもとに始めた提言はこの危機をほっておけない衝動から始まった。</description>
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<category>未来人誕生物語</category>
<pubDate>Sat, 02 Jan 2010 08:00:00 +0900</pubDate>

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<title>第64話　４.プレビュー(顔ぶれ)　＜無明の波風＞</title>
<description>　　毎朝、太陽は東から昇って夕方にしへ沈む。この繰り返しの中に生きた古代人は誰一人疑うことなく、太陽が地球を回っていると思い込んだ。だが事実はその逆である事を唱えた時、その主唱者コペルニクスは罪人として処刑された。現代人は人類が会話によって創り出した文化や文明の中に生きているために、ことばの存在自体が見えない。その結果、誰もが疑うことなく眼に見える現象世界が先にあって、それを創り出したことばは単なる名札のようなものであり、会話は物中心・金絶対の世の中を生きていくための方法手段と思い込んでいる。私が「ことばがすべてのすべて」と提唱し、会話がすべての現象を現していると叫び続けても誰一人振り返らない。たまに、ん？と首をかしげ調子を合わせてくる人もいるが回りの人々から、世間の会話で取り囲まれるとフツーの人に戻ってしまう。そして脱落者同志の仲良しクラブを作っては、私をたわけ者とせせら笑う。こんな悲しい波が限りなく私を通り過ぎた。それはあたかも、その昔私がアイデアの会社を興した頃、アイデア自体は歓迎し求めるのに、報酬は払わず知らん顔して盗んでいく人達に似ていた。我々のスペースで出会い、結婚し、子供が生まれても、あれは偶然だと知らん顔して行く。又、時には子供たちが人間のあり方に目覚め口を開き始めると親たちは思い通りにならなくなったと言って、怒鳴り込んで来る。人間の愚かさ、無明の風は限りなく吹き荒れる。</description>
<link>http://tosimasa.yoka-yoka.jp/e361694.html</link>
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<category>未来人誕生物語</category>
<pubDate>Sat, 26 Dec 2009 08:00:00 +0900</pubDate>

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<title>第63話　４.プレビュー(顔ぶれ)　＜ほどける道＞</title>
<description>　　Ｂ社のトップがかって日本に滞在し、あまり知られていない仏教的古典書の影響を受けていたと言うのである。簡単に言えば、釈迦は何を悟ったかの原点とコンタクトしたと言う事である。この場合、、“釈迦”がという固定名詞を使うより“人間”が自分は何者であり、どう生きる事が人間なのかを知ったと言い直した方がいいと思うともあれ、彼はこの人生最大のテーマを解くカギを原書経典の中に見つけた。そのキーワードは次の三行であった。　諸行無常　諸法無我　涅槃寂静これが何を意味するものか。読んでいくら現代語に解釈しても芯から胸落ちしない限り、只の暗号文である。この原書を書いた故人の直弟子を尋ね、礼節をつくして、不可解に耐えながら何度も教えを乞うた。そして、その最中に友人であった大手の宗教団体のＢ会が分裂を起こした。原因はトップの不倫問題であるとか、保守派と革新派の対立であるとか様々なゴシップが流れた。その友人を救うためにより話し合った時、宗教家である彼が真理を持たない事に愕然とした。そのショックからひらめきのように例の暗号文が解けて来た。「諸行は無常である。」この世の一切の現象に実体は無く、無限に生誕を繰り返すエネルギーの変化体にすぎない。「人生は勝負である」この事実に照らし、精密な科学的洞察に立てば、自分という身心の存在は幻想に過ぎない。肉体も元々存在せず、未来も無い。当然、脳の中のデータに過ぎない自分と言う意識も肉体現象のソフトウェアであって、知れば知るほど人間が我絶対と言うこだわりに生きる事自体がファンタジーである。「涅槃は寂静なり。」こう解かってくれば人類永遠の壁であった死の恐怖がいかに正体の無い空想に過ぎないことかが解けてしまう。元々０（無）であり未来も０（無）である我々が何で今を１（有）として錯覚するのであろうか。元々生まれていないものが死ぬわけもないのである。「いのちあり」この思い込み自体がとんでもない人生のまたぎであったのだ。このメッセージが宗教主催者である彼等夫婦に全く通じないのである。おそらくあのＡ会のトップであっても同じであろう。何故ならあの人の口癖はだから。つまり本来仏教の本場とされる日本に置いてすら、全てが信者集め、金集めの方法知識で充満されていて、この真理に居ないのである。目からウロコガ落ちる。そんな甘い表現では表せないショックだった。そして私はより大きく深い真理探究への決心を新たにしたのである。それにしてもＢ社のリーダーがこの真理と出会いながら、これをビジネスの道具としたことは悲しい。ここからまた新しい旅が始まった。</description>
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<pubDate>Sat, 19 Dec 2009 08:00:00 +0900</pubDate>

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<title>第62話　４.プレビュー(顔ぶれ)　＜不明との二人旅＞</title>
<description>　　未知の真理をたずねての旅である。自分から人に話しかけ、馬鹿になり切って只ひたすらに道をたずねる日々が続いた。息をする度に「わからない！」と言うつぶやきが出る。彼はその「わからない」と友達になった。この二人旅は必ず何処かへ抜け出せる。必ず、これだ！と言う真理に出会う日が来る！それだけは疑わなかった。ネットワークビジネスのトレーニング部門から独立したアメリカのＡ社の全プログラムに参加し、自らアシスタントをする。そしてその源流と言われるＢ社のフルコースも受け、月に３回は東京を往復した。あしかけ４年。それでも謎は解けない。何を根本として何のためにこれらのプログラムが誰によって創られたのか？未知の専門用語が連発されて、只、眠くなる。寝ながら参加を続ける。エサレン系のもの、メキシコ系のもの、ヨーロッパ系のもの、インド系のもの。手当たり次第むしゃぶりついた。それでも点と線は結ばれない。独自の創作プログラムは次々とひらめき、人々に提供するのだが、自分自身の中で真理が見えない。時間だけが過ぎて行く。やがて彼は中国への漠然としたあこがれから台湾で仕事をするようになった。当時、松田氏の最初の成功地となった台湾での事業を手伝うためである。月２回、実質８日間の台湾暮らしを２年。この間に独自のプログラムを固め、更に自分の不明の世界を探究する意図から、Ｂ社のプログラムをマスターしかけていた森氏を顧問として雇う事になる。そして森氏の口から、どうやらＢ社の源流が日本の古典的仏教にある事を察知した。</description>
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<category>未来人誕生物語</category>
<pubDate>Sat, 12 Dec 2009 08:00:00 +0900</pubDate>

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<title>第61話　４.プレビュー(顔ぶれ)　＜エサレン研究所＞</title>
<description>　　アメリカ西海岸にビッグサーと言う所があり、そこに「エサレン研究所」という人間性研究のスペースがあって、どうやらそこがこの運動の発祥地であるという情報が入った。そして、当然のようにそこへ飛んだ。ここでの第一収穫は自分と他人、男と女という差別をはずして、我々と言う平等観に目覚める事であった。勿論この真理への発見は後々に起こって来た事で、訪問当時はそれどころではない好奇心とショックの連続だった。具体的には先ず天然温泉での男女混浴と互いにオイルマッサージをしあうエクササイズとの遭遇から始まった。この体験から性差別のベールが取れて、人間同志としての思いやりが湧いてきた。穏やかな自然の中での開放的な会話が互いの平等感を育てて行く。だがどうも、エサレンはいやしの世界の匂いがした。</description>
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<category>未来人誕生物語</category>
<pubDate>Sat, 05 Dec 2009 08:00:00 +0900</pubDate>

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<title>第60話　４.プレビュー(顔ぶれ)　＜人間性回復運動＞</title>
<description>　　こうした未来的プログラムは人間の相互信頼を根本とする真理への接近なのか、はた又ねずみ講へ人々を巻き込む洗脳教育なのか、彼は岐路にたたずむ旅人のような戦慄を覚えた。およそ感知出来るプログラムはすべて参加した。そして翌日から教室で自分がリードしてみる。彼の所へ通う人々にとっては全てがカルチャーショックになった。先生は狂ったと言って去る人と、いやこれは凄いと言って人を誘う人、つまり自分中心にのいやし派と、人と出会おうとする運動派に別れていった。この種の人間性回復運動とは何を目的とするものなのか、何処から始まったのか、その先は全く見えない。ただ頼りとなるのは彼の探究心とそれに共鳴してくれる松田氏の応援だけだった。</description>
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<category>未来人誕生物語</category>
<pubDate>Sat, 28 Nov 2009 08:00:00 +0900</pubDate>

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<title>第59話　４.プレビュー(顔ぶれ)　＜話の道＞</title>
<description>　　「話道教育連盟」このネーミングを決めた時、ことばのエネルギーを直感した。“東京からやって来た生きかたとしての話し方、話道教室”“生まれつきの話下手は迷信です”そんな呼びかけでボツボツ生徒がやって来た。きもの教室の空いている日からのスタートである。やがて地元の著名人もやって来た。地元のテレビやラジオにも出入りした。近隣都市への分教室も開く。外部での講演依頼も増えた。きもの教室とは人種や仲間が違ってくる。この結果、院長先生とも別れ、Ａ会とも完全に離れ、母を呼び戻して東京の妻とは離婚した。話の道を興した事で、自分自身の人生史に大きなインパクトを与えた人物、松田勇雄との出会いがあった。当時、話道を取り巻く人々には地元銀行の常務や建設会社の社長、鉄道関係の機器メーカー社長などがいたが、松田氏の職業は正体不明である。何か羽振りがいい。やがて彼は成長期を迎えるネットワークビジネスのトップである事が判明した。そして、松田氏が会話力を求めるところからの顧問契約が「話道教育」の質的量的発展に開きを与え始めた。質的発展とは、松田氏が関わるアメリカのネットワークビジネスのソフトウェア“自分の生き方を探究するプログラム”との遭遇であった。その頃、話道教室のテーマの一つに「人前でのアガリをとる」テーマがあった。これが視線を合わせる事で解消する事を発見しただけでも驚異だった。ピンチを抜け出す奇跡として始めた話道教育のプログラムに対して、アメリカ製のプログラムは宇宙人との遭遇にも似た衝撃を与えた。この未知のプログラムのルーツはどこなのだろう？探究心が爆発した。量的発展とは松田氏との契約と応援が資金的に働いて、話道教育を社会的にアピール出来る可能を開いた事である。</description>
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<category>未来人誕生物語</category>
<pubDate>Sat, 21 Nov 2009 08:00:00 +0900</pubDate>

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<title>第58話　４.プレビュー(顔ぶれ)</title>
<description>　　未知の自分の誕生今までのことばで現せない見たこともない世界と出会う。人間にとってこれほどの感動はない。宇宙がなぜ人間を魅きつけるのか、オーロラの美しさがどうして涙を呼ぶのか、愛をこえる愛のエネルギーが輝くからだ。それは決してことばを越える世界が存在するからではない。今まで使ったこともない、未知のことばが生まれる時、自分が全く一新される瞬間、自分自身が未知の世界として現れるからなのだ。</description>
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<category>未来人誕生物語</category>
<pubDate>Sat, 14 Nov 2009 08:00:00 +0900</pubDate>

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<title>第57話　３.トリップ(行方探し)　＜虎穴からの脱出＞</title>
<description>　　「虎穴に入らずんば虎児を得ず」という。虎穴に入ること十年。彼は不死身だった。脱出した。そして虎児を得たのか。彼が求め抜いたのはどうすれば本物の人間関係、つまり永遠不滅の組織をつくり得るかという事だった。人間が真から燃えたぎるには純粋無垢、正真正銘の真理との遭遇しかない。百％、これがすべてだ、これしかあり得ない！と自分の全人生をかけて惜しくないゴールを見つけた時、人は絶対的な会話力を現す。彼は十年といういのちをかけて、その絶対ゴールをＡ会に求めた。トップは「私自身求道者である。信じ切りたい！そこに生きている。」と言う。そして何百年か前に開祖が発明したマントラが宇宙の根本だと言い切る。そして全世界の過半数が共鳴者になれば、真の平和は来る。現に日本でも我々は社会的地位を獲得しつつあるではないか。少なくともＡ会を中心とした組織社会に会員は皆、満足しているじゃないか。これこそ人類が求め抜いた真理の証明であると言う。のような匂いもする。近いような色彩もある。その色香に誘われて彼も十年という大バクチを張ってみた。だがその虎の穴の奥まで入って全身で見たものは虚栄であり利害であり、物言わぬ働き蟻の集団であった。何百年もの前の開祖の意地と根性のメッセージを現代にすり替え、選挙の集票や寄付の集金マシーンと化す集団洗脳のコミュニティであった。会員達はこの矛盾を、マントラを唱える事で自己暗示し自らを虚勢化して行く。そこに真理はなかった。唯、ひたむきに真理を求めようとする人間の後ろ姿が、彼の得た虎児の映像であった。そして彼は脱出を決めた。当時、一番大きく関わった仕事は「ＫＴきものコンサルタント協会」を看板とする大手きもの学院の顧問であった。Ａ会の経営指導協会の部長職という背景もあり、所属政党の顔でもあった彼の魅力にＡ会の信者でもあり、遊び盛りの社長は傾倒した。そして金とヒマのあるミセスを対象とした王様と王子様の珍道中は、東京・京都・ソウル・ハワイへと拡がっていった。東京では「話すことと装うこと」のセミナー。京都では「みやびさを身につける」ミセス旅行会。ソウルは日韓親善と言う名目で社長のお供。ハワイはカラカウア通りでの「日本きものパレード」の演出であった。このクレイジーな日程の最中に出会ったＢきもの学院の院長と恋地獄に落ちた。強引な同棲暮らしへの誘惑は、ある意味で虎穴から脱出するチャンスでもあった。当時の人間関係はクモの糸にからめられた虫の如く公私共にガンジガラメ、しがらみの自縛自縄であった。ここからの逃亡、隠遁には絶好の時である。そして自動的に彼は人生の夜逃げをやった。母もいる家庭は生活費を送るだけの臨時処置をし、彼は福岡に第二の家庭をつくった。当然Ａ会からの信用は切れ、当時の取り巻きは様々なストーリーをつくって自分を正当化した。恋地獄の実体とは、落ち目がかっていたきもの学院の建て直しを彼に依頼する事だった。大坂城を死守した真田幸村の役である。そして約二千万円のヘソクリは瞬く間に消え、逆に同額に近い借金が出来てしまった。資本力は人間関係の電池のような働きをする。人間関係のないところで何かを始めると、当然こんな現象が起きる。逆に言えば人間関係を持たぬ人、人間を信じない人は金にしがみつき人間関係を食いつぶすわけでもある。私自身が知らぬうちに、欲望地獄に生きた父や母を投影し、自らが金にしがみついていた。そして金のしがらみから突破する最初の修行に入ったのである。きもの着付けブームは下火になっていた。そこで彼は斬新なトータルファッションスクールを企画し、華麗なデビューは成功したかに見えたが、折からのバブル景気の崩壊の煽りを受け、借金は倍増し完全にピンチに立たされた。ピンチはチャンス！このことば以外に突破口はなかった。人間の原点に立つ。元々何もなかった人間があらゆる可能を創り出したのは会話、ことばしかない。この八方ふさがりの最中から「話道教室」が生まれた。そしてそれがＡ会と金地獄からの脱出を共に可能としたのである。</description>
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<category>未来人誕生物語</category>
<pubDate>Sat, 07 Nov 2009 08:00:00 +0900</pubDate>

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<title>第56話　３.トリップ(行方探し)　＜ミイラ取り＞</title>
<description>　　そこへ人生の節目が来た。Ａ会という新興宗教との遭遇である。当時のマスコミにＡ会の台頭が大きく報じられていた。爆発的な教勢拡大に彼は惹かれた。どうすればこんなブームを起こせるのか？そして自分から会との遭遇を望んだ。当時、上野に彼のアイデアになる「やきとりキャバレーボーナス」という当たり続けの店があり、ここで彼は”部長”という呼び名をもらっていた。システムから教育、宣伝まで全部請け負っていて、毎晩客が行列をつくっていた。社長が王様なら、彼は王子様だった。そして王子様の目にとまった鶴千代という店名のホステスをいい仲になった。この娘がＡ会の会員だったのだ。二つ返事で自宅の座談会に案内された彼はその場で会員になった。「何がＡ会の成長の秘密ですか？」という質問に幹部の答えは、「先ず勧誘せよ。１００％やり切ったらその謎は自然に解ける。」だった。毎月数十人から時には百人を越える人達を彼はＡ会に入れた。当然、噂は渦巻き、皇大神宮を祭る社長、Ｂ会に熱狂する彼女を持つ支配人は連合して彼と対決した。店の中は関が原の戦いのようになった。彼の奮闘ぶりはＡ会の上層部にも伝わり、彼はＡ会の政界進出に対する広宣部のアドバイザー的立場を得た。更に会員の経営指導機関の幹部にもなる。そして夜の帝王のような彼の勢力権に信頼感もあって、結構、影のボス的存在になって行った。ミイラ取りがミイラになりかけていた。勿論ロクに家にも帰らない。勤皇の志士気取りだった。この怪しげな生活にＡ会の方も組織上の幹部には登用しない。やがて、虎穴からの脱出のチャンスが起きた。</description>
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<category>未来人誕生物語</category>
<pubDate>Sat, 31 Oct 2009 08:00:00 +0900</pubDate>

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